毎日のように、メールいただき、「ぼけ対策」になって嬉しく思います。
文字を打つのが指一本ですから、
深夜になってしまい、すぐお返事できなかったり、
不勉強のせいで、ご質問いただいてから、参考書を見ると言ったこともあり、
気分は学生時代に戻ったようになりますが、遅々として進まずといった事もいつものことで、
遅くなってのお返事も多くなってきました。
知らないことに対してはどうしようもありませんが、「知っていることの範囲でなら」とは思っていても、
話すのと書くのでは大違いでして、
あまりにもいい加減なお返事もお出しできません。
半分は勉強と思ってみても、
気分とは異なり、学生だった頃とは随分知識も変わってきていますし、
うまくまとめられないことがほとんどです。
一生懸命になって、徹夜する日もたまにあります。
それでペンネームだけでご質問をいただく方には「どんな人なんだろう?」
と、思ってみたりしますし、時々は、
誰と話をしているか判らないような気持ちになり、不安を覚えたりもします。
昔ながらの人種らしく、
元来、人と話すときは相手が必要な環境に生活してきましたので、
困ったことなのです。
匿名でも構いませんから、
住んでいる地域(県か市)でもご記入いただけましたら助かります。
あるいはHPをお持ちの方でしたら、そのURLを教えていただきますと助かります。
話す人が見えてくることで、
話す内容も変わることは、皆さんご存じのはずでしょうから。
今年春先に、時々「にゃーにゃー」と鳴く声がありまして、
まあ、聞けば猫とわかるわけですが、
どこからか、野良猫が遊びに来ているのだろうと思っていましたら、
ある日のこと、部品取り用の車の荷台にあった、段ボールの中から、
突然、そいつが飛び出してきまして、
どうも、ここを住処としているらしいことがわかりました。
ほんと、心臓が止まるかと思うぐらいに、両者とも驚きました。
自分で取り付けた赤外線センサーに、どういう訳か、何かが触れているようで、
チャイムで知らせてくれていますが、確かめると誰もいないと言うことで、
「誤作動かな」と思っていたのですが、
こういった幽霊現象が時々起きていた正体は、
実は、この猫たちのせいだったようです。
猫は最初、母猫と2匹の子猫だったのですが、
今は、子猫だけになっています。
と言うか、少し大きくなった、三毛猫風の御仁と
お世話になっていますヤマトの黒猫の2匹しか見あたりません。
母親はどこへ行ってしまったのか行方不明のままです。
いつもはどうしているのかわからず、見ない日もあるのですが、
勝手に住み着いているだけで、餌をあげることもしませんので、
時として、顔を合わすことがあっても、目を合わせるだけで、どちらも「知らんぷり」。
けれど、まれに、部屋の入り口に上がるような事も1度ありまして、
出くわした時はさすがに、ひとっ飛びに駆けて逃げたようで、それ以来は、上がってこないようです。
猫は好きでも嫌いでもありません。
犬も好きでも嫌いでもありません。
けれど先方もここの住人が私だと知ってか、
危害を加えないからいいと思ってかよくわかりませんが、
立ち退く様子もなく、こちらも積極的に追い出す事もしないので、
居座り続けることでしょう。
どうでもいいことですが、
変な関係です。
前々から、作動に不安定だったハードディスクを交換してしまいました。
ところが、パソコン歴はまだ3年も経ってないので、「パーティション」という事を知らずに、
加えて、いまだにWindows 95の4.00.950Bだったため、
最大8.4Gと言う最近では新品のパソコンでも少ない容量が最大にも関わらず、区画容量制限がかかり、
今まで通りの2.1Gでしか使えなくて、
それが解るのに半日も悪戦苦闘してしまいました。
1年前はSCSIボード、アクセラレーター、メモリー増設など済ませていましたが、
HDDはまだ触れなかったわけです。
けれども、よくもまあ、機械のことを知らないのに、触れたものです。
めんどくさいのでと言うだけで、バックアップもせずに・・・。
本当は昨年初め頃には新しいものに買い換えるつもりだったのですが、
あまり、経済的に余裕も出ませんでしたし、相次ぐモデルの変更に呆気にとられて、
買いそびれてしまったわけです。
子供の教材用にと買ったのが、そもそものいきさつですが、
無理難題のキー操作に、良く耐えてくれたとほめてあげたい気分です。
(時々、下の子(3歳)が黙ってスイッチの電源を切ったりしています。タフさ、すごいでしょ?)
今年は頑張ってこのパソコンを完全に子供に譲って、と思っていますが、会社にも置くことを考えていますので、
新品を2台はどうだか・・・。
そういえば、例年になくユーザーさんの自動車の方も修理が多かったように思われます。
こちらも10万キロは軽く超えた車の整備ですから、どれを先に修理するか、優先順位が難しいのですが、
リビルト・中古部品をフル活用し、一応、安心できるレベルにできたように思えます。
「使えるものは大切に!」と言う世代にとっては、納得してしまうのですが・・・笑。
ただ、最近特に本が読めなくなってきましたし、記憶力もかなり低下してきまして、
何とかならないものかと焦ってくるようになってきました。
情報量が多すぎまして、反面、すでに容量は目一杯で、増設もかないません。
と言うわけで、
まだ、30年くらいは生きるつもりでいますので、
細く長く、と考えているわけです。
風邪がなかなか治らず、家庭内では次から次へうつりまくり、いつも誰かが症状を出しています。
今年(2000年)に入ってから、私もほとんど巡り巡ってはひき続けています。
市販の薬の錠剤も数個(瓶)はなくなり、薬付けの毎日で、更新と言うより、
本を読む気力も失せてしまい、書きたいという気持ちもなくなって来つつあります。
気持ちが「乗って」いませんと、どうも本来ある「いい加減さ」が先立ち、
素直な気持ちでの「驚き」がなく、筆を取る気も失せてしまうようですね。
元気になった子どもたちが、動き回り、驚き、楽しんでいる姿さえ、
時々「どうして何もならない運動にあんなに興味を持てるのだろう?」とさえ思ってしまう有様です。
「動きたいから動く」という本来の衝動がこれほど羨ましく思えることはありません。
ただ、救われているのは、否が応でも仕事が忙しいことです。
いつも、誰かの仕事をし、それが生活の糧になっている事に対しては、
ありがたい事と思わざるを得ませんし、
その事に関しては精一杯出来るように頑張れますので、
ふがいない性格にも張りは実際あるわけです。
人に生かされていると思う気持ちも反面持ち続けられるわけです。
弱った気持ちに対しては、対応が難しいのですが、
ある程度、時の流れというものが必要なのかも知れません。
頭でわかっていても、気持ちは大切にしていたいですし、
気持ちは体調に左右されがちです。
失業し、アメリカをふらふら一人旅した時を思い出します。
一つは自然の中にいる自分を見つめたかったからですし、
もう一つは何かに対する「関わり」を見つけたかったからなのですが、
いまだにまだ見つけられずに彷徨っているようです。
暖かな日でしたので、家族と娘の友達と一緒に海遊館に行って来ました。
どちらかというと子どもたちは小動物の方が好きなようで、
ラッコとかペンギンやイルカに興味があったようです。
水槽の前で、泳いだりする様を見続けて楽しんでいました。
大体10分も見ていますと、飽きて来るのでしょうか、次々と水槽を移動して行きますが、
忘れたかのように、また前に見た水槽に戻ったりしますので、
後をついて行くのも大変です。
ところが、どういうわけか、10分経っても、20分経ってもなにやら離れない水槽があるので、
覗いてみますと、
アシカが芸をしているようなのです。
自分の歯で足をつかんで丸くなって見せたり、
くるくる回ってみたり、子どもたちと興じているのです。
人も多かったので、最初は何をやっているのか解らなかったのですが、
よく見ますと、子どもの手にあわせて、動いているようなのです。
回りはまるで「大道芸人」を取り囲むような小さな輪が出来ており、
声を出して興じている姿を見物人が見ているのでした。
拍手こそなかったものの、声を出して指さす人もおり、自分の子がやっているのだと知ると、
その時そっとその場を離れ、他人顔をしている嫁さんの行動が解るような気がします。
子どもの友達と代わる代わるなんと30分以上やっていたのですから
無理もありません。
で、後で興奮さめやらぬ娘にどうやっていたの?と聞くと、
ティッシュペーパーを持った手を水槽のガラス(樹脂?)にそって動かしていたのだと言います。
すっかりアシカと友達になってしまったようで
「アシカが私たちを忘れるといけないので・・・」来週もつれてゆけと宣うのです。
父親としてはのんびりと泳いでいるマンボウを眺めているだけでした。
ネットではいろんな情報が得られます。私もそれにあやかって、検索したりしています。
書籍、論文集にはない、生の声が聞こえてきますし、わかりやすい解説を提供して頂けますので
本当に重宝しています。
また、メールという形がありますので、わからない場合など、ご迷惑かとも思えるのですが、
わがままな質問にお答えいただけることもありますし、更に教えていただけることもあります。
私も、浅学ながら見習っていきたいと思うわけですが、
元々、そう言った方面では素人ですから、このHPの題に関係することについても
皆さんと一緒に考えるくらいしか出来ないわけで、
申し訳なく思っております。
最近、特に調べることが多くありまして、ネット上で情報を集めていましたが、
本当に知りたいことは、やはり自分から本を読むなりして、基本は知っておくことが大事と思えるようになりました。
こういった大まかな輪郭の知識は体系と言う表現で表されるのですが、これも重要なことがらです。
自分の調べている事柄が、どういう位置の問題点なのかは、
ある程度基礎知識とその体系を知っていることで解ってきますし、
それに対する自分なりの解釈も問題提起も考えられるようになります。
具体的にいろんな事柄があるのでしょう。
でも忘れてはならないことも見つけました。
それは、知識は知的な満足がある分だけ、その事を研究した方に報酬を返される必要がありますし、
もし、その方の研究が知りたければ、その方の書籍を購入する事が大事なのかも知れないと言うことです。
まだまだ、様々な事柄が未分化のままあるわけですし、実際はたくさんの事柄について教えてもらえるわけですが
その一つでも教えてもらえるのでしたら、
いわゆる”特許”と同じように、還元される必要があり、その事も大切と思われるようになったわけです。
「路傍の石」ではありませんが、「働く」は、やはり「はたが楽になるように」という意味合いに似ているのかも知れません。
ネットで検索し、詳しく知るには本を買ってor安く済ましたければ図書館で読む
(またはネットでも今後出てくるでしょうがその場合代価を支払う)と言う方式が、
最近は定着してくるようになりました。
とはいうものの、凡人ですからネットの情報でさえ理解不能に陥るこの頃です。
「誰でも頭脳明晰になる方法」と言う本の出版お待ちいたしております。
メールが送れない場合:macchann@mbox.kyoto-inet.or.jp