肩の凝らない、しかし、嘘かもしれないページ30

添加剤が効く効かないの個人差について−その7

エンジンなどで「異音」と言う形で現れる「音」は、聞き手によって聞こえ方が異なってきます。
これは、「聞く人が聞きたいように聞いている」ということと言えます。
例えば、人と話しをするとき、自分が関心のある話題について、似た言葉が出てくると、 聞き違えてしまう事があげられます。
また「竹ざる」などに豆を入れて「波の音」を出す擬音がありますが、料理番組で 「豆の中のゴミを取る」というような場合は、決して「波の音」に聞こえません。 また、そういう風に説明してから「波の音」を聞かせた場合、多分「豆の音」として聞こえるでしょう。
どうしてこのような違いが出るかと言いますと、
耳で聞こえた音はテープレコーダーで録音したように、正確に 聞こえていない(録音されていない)からなのです。
人はものを聞くとき、

といった2つの方向からの情報処理の結果、それが「何の音であるかを」決定しているからです。
ほとんどの知覚器官が同様の情報処理をしていると思われ、例えば「錯覚」「幻聴」などは そういった処理におけるトラブルと、されています。
聞こえない音が聞こえたりしたらちょっと不安になりますが、 上記の情報処理によって、「エンジン音がうるさくなったからオイル交換の時期が来た」 というように判断できるのです。 ただし、この場合、既存の知識・経験がないと、オイルの劣化によるものと一方的に 決めつけてしまい、本当は他の原因で音がうるさくなったと言う事実が隠れてしまいます。
この場合は、オイル交換しても音が変化しないはずなので、考えを訂正できます。 こういったことが積み重ねられると、感覚的な音の取捨選択も出来るようになります。
「この音は、ここが悪くなって出た音のようだ」と判断できるということ自体が、 大きな音源としてのエンジン音を細かに聞き分けて分析できているということであり、 熟練の整備士が「カン的要素」で判断していることなのです。
ただし、その判断が当たっているかどうかはやはり修理してみなければ正確な答えにはならないことが 多く、「音は難しい」といわれる由縁ですが、出来れば、「誤診」は避けていただきたいと思われた方も 多くおられるでしょう。

音がいかに他の要素と結びつくか、と言うことは
「音楽」をたとえに出してみれば誰もが納得できるのではないでしょうか?
特に、記憶というものと一緒にいつもまとわりついてくる といったあたり
聴覚自体が優れていない分だけ、ひとしおです。

つまり、音の記憶は単体では現れにくいものだと思うわけで、
必ず、主体があり その伏線で動いているように思えます。
感覚器官は、外の世界をその個体の中で再現しようと試みています。
生物は、最も近い道筋を通ってそれを行おうとするわけですから
ある音を聞いて、それが何であるか目で見ているように
現れて来るのです。

その感覚同士の連帯は本来切っても切れない関係なのです が
もう少し
音について 考えてみたいと思います。
いくら音量が測定器で同じだとしても、
エンジン内で爆発する排気音とタペット音やメタルを打つ音、 あるいはインジェクターの作動音などを同じ音と 聞き違えることはそう多くないことと思います。
けれど、区別して聞こえるには、音源である主体の音を 知っていることが必要になります。

これは、乳児にとって母親の声が他人の声と異なっていると受け止められる方が 生命の安全に有利であったように、 どこがどういう音になるかを知っていることは 機械の状態を判断するのに有利な条件となります。
アイドリング時の音量は回転数を下げることによって、 無条件に低下すると思われますが、 そうすることによって、今まで他の音で聞こえなかった音が 聞こえるようになることがあります。
(また、走行が増えたり、年式が古くなりタイミングベルトを替え、カムにかかる引っ張る力が 強くなることによって、エンジン音が静かになる現象も、 同様に見られます。)

また、まわりがうるさければ、エンジン音が静かに聞こえると言った現象もあります。
自分の車以外の静かなエンジン音の自動車を乗った後では、自分の車のエンジン音が以前にも増して うるさく聞こえると言った現象もあります。
(認知心理学の本を読んでみれば、これら様々な現象についての理由が多くのデータや検証で 説明されていますので、興味のある方は一度読んでみてください。)

つまり、何を説明したいかといいますと、 「本当に、その添加剤を使用することで、エンジン音が静かになった」か、どうか は、その静かになるレベルと心理的要因との側面から調べてみる必要があると言うことなのです。
ですから、必ずそれらのデータは必要になりますし、データの妥当性も吟味しなければなりません。
本来、同一条件であれば、誰が使っても「良くなる」はずでなければいけなく、 「良くならない」場合は、その添加剤の限界か、添加剤と関係ない箇所の音なのか、 ある程度使用する側の問題でもあることがあるわけです。( 音に関心がなければ、音量・音質さえどうでもいいことですし・・・)

と言うことで、まとめてみると、
図は工事中
やっぱり、何かへんな風になってきたなぁー

私の方が肩が凝りそうなのでページをかえて、と。


次のページへ

前のページへ

ご意見、ご感想こちらへ

メールが送れない場合:macchann@mbox.kyoto-inet.or.jp


ホームページへ

inserted by FC2 system