時々思うのですが、商品は一体どんな値段で消費者に売られているのか、考えたことがあります。
特に自動車を扱っていますので、同じような構造なのに、値段が倍近くする場合などや、
最近販売されるようになってきた「優良外品パーツ」なども興味があるわけです。
オイルや添加剤もその類に入り、原油が1バーレル(42ガロン=159.6リットル)で
25ドル前後ぐらいとすると、そこから出来るガソリンや軽油やオイルやコールタール全部で
約160リットル分が原価3500円(1ドル=140円)としても、加工したら相当高い値段で
販売されていることになってしまいます。
船賃・保険代・設備費・人件費などを差し引いても相当高い値段にならざるを得ないわけがあるのでしょう。
実際に業者が購入しているオイルなどの値段は申し訳ないのですが、ここでは公表できませんが、
いわゆる「大量仕入れ」ですから安くなるのも仕方ありませんし、
消費者自身が大量に購入しても仕方ないばかりか、無駄になってしまい
結局「損失」が出ます。
まあ大体、どんな企業もその品物の一般的な流通量で人件費や経費が差し引ける額と言うことが相場と言うことになるのでしょう。
小学校時代だったか、物々交換によって物が交換される場合、お互いが満足できる基準によって、成立したと言う
話しを想い出すことが出来ましたが、
どちらか片方でも価値が釣り合うかどうか懸念を示す場合は
取引が成立しない事も事実です。
欲しくない物に対しては、価値が0という事にもなります。
物がどんな値段で流通されるかを知っておくことは大切なことで、より付加価値が高い商品を作ることが
原価対販売価格の格差になり、貿易国である場合は特に重要だと言うこともいつぞやに教え込まれたことです。
それで、そこに生産コストが下がれば、品物の値下がりがあるわけでして、自動車の部品などはいつも
これとの戦いです。もちろん製品の原料の値段の動向なども影響するわけです。
経済はやってきませんでしたので、ほとんどこういった価格などといった、
物の取り決めなどの仕組みがわからないわけですが、
製品として出来上がった物を輸入する場合、生産国の販売価格の2−3倍が適正価格とされているようです。
この製品は特に高額商品でなく、日常使用される消耗品であったり、安い商品に適用されるようです。
それで、オイルなどの商品を調べてゆけば大体見当が付きますが(別途にかけられる例えばガソリン税などというものなどは別とします)、
一応名の通った製品は大体その範囲にあるようです。添加剤なども一部を除けば大体そのような価格に落ち着いているようで、
納得させられます。
輸入品の方が国内で生産されるものよりも安く手に入れば、国内生産はされなくなります。で、少しでも安く良いオイルなどを手に入れたいという人には「個人輸入」と言う方法があります。
最近はカセットやCDもほとんど海外からで、特別高価な製品しか国内で作られなくなりました。
人件費がまかなえないからでしょう。
流通の仕組みでは「中間業者」が利潤を取るため、小売価格が高くなるという事が言われています。
生産者から小売りまでの間の「中間業者」を減らすことで安くなる可能性は高いのですが、
それを取り扱える業者が少なくなりすぎてしまい独占的になってしまうと、これもまた問題があるわけです。
こういった流通に関することがらはいろいろと難しい問題を抱えていそうです。
添加剤も新商品が出るたびに、従来品が安く売られる傾向があります。あるいは知れ渡って生産コストが下がる事で
安くなる場合もあります。けれど私が知る限りでは、いきなり安く売られる商品は
最初の値段が法外だった場合のような気もし、
適正な価格になっただけかもしれません。
マルチ商法で販売されている場合は論外です。
パソコンなど結構普及しましたが、使わない人にとってはただの箱でしかなく、新しい物が出るたびに、
大安売りされてしまう訳ですから適正価格がどこにあるか不思議な商品です。
電化製品は大体こういう傾向が強いと言えます。
私なども、高くても最新の製品を買ってしまう訳ですから、
製品開発にお役に立っているのかもしれません。(笑)
本当の友人になら誰も悪い物を押しつけようとしませんし、損をさせるような事を進めないでしょう。
相手を理解しようと努力しますし、無理だって苦になりません。
適正な価格に対しても注意深くなるでしょうし、・・・。
自分の基準でしか物事を判断できないのが普通ですが、
その基準にメスを入れてくれるのも友人ならではの出来ることがらです。
金銭的事柄はどちらかというと「不便」ではありますが「不幸」とは言いにくい面がありますが、
(金銭的な事柄は文化的知識で、本能的なものの後から組み込まれた事柄に属します)
友情などと言った心に関した事柄は「幸−不幸」に関わる事柄です。
どうも脱線していけませんが、
こういった観点から「適正な価格」考えてゆきますと、
不正な価格の背景には「幸−不幸」の事柄が少なく、適正な価格には、その関わりが深く感じられてなりません。
ですから、その適正価格の背景にあるそう言った事柄の良い面が広がってゆき、
地球規模の視野にならない限り
「便利」で「幸福」な価格(?の関係)と言うものも結局生まれてこない気がしてなりません。
果たして、そんな世界になるのだろうか?
オイルや添加剤などの「流通−販売機構」も一種独特な形式が一部あります。
製造元、(総代理店、上位代理店、)代理店、小売り販売店、消費者側それぞれの利益に繋がるような場合もあれば、
製造元だけ、流通関係の利益だけ、が異常に大きい場合もあります。
後者の場合、ひどい場合、基本的には消費者は知識で対抗するしかなく、
つまり極端に言えば「だまされない」と言った手段でしか身を守るすべがないわけです。
ところが、それらに対抗する知識は専門的で難しく、一部の研究者達だけに理解される領域の事柄で、 とてもついてゆけません。
販売する側の立場も、ほぼ同様にならざるを得ません。
良心的な販売店なら少なくともその製品の良さを理解して販売するでしょうが、
一般的な販売店では、
流通機構に組み込まれているわけですから、卸値と販売価格の差は比較できても、
その製品が本当にその価格なりの価値を持った製品であるか、判断でき難い状況です。
(ひどい場合、儲かるから販売する事が中心である場合もあります。)
他に比較する製品がない場合などなおさらで、
まして、それが「適正な価格」で仕入れられているか、どうか、さえ、
判らないことも起こり得るわけです。
出来るだけ、流通の中にいながら「適正」を探すわけですが、他の分野の流通でも
大なり小なり、ほぼ同様な場合が多く、また、そう言った比較自体が適当でないと言った状況もあります。
まあ、会社にお勤めの方なら、以上の事は良くあること、値段など決まっていることと、
思われるかも知れませんが、
情報がこれだけ進んできますと、そう安易に考えていられない面もありまして、
販売する側の意識も変えていかざるを得なくなってくるのではないかと思います。
ともあれ、複雑な要素が絡み合った社会ですから、とても難しい問題点でもあります。
考えるだけでは、どうにもならないわけですが、少しずつ改善されるように、
努力してゆきたいとも思います。
「だまし絵」を見て、ある瞬間、別の「絵」の構造が見えるように、人の意識も、
似たようなところがあります。
社会の意識自体も非常にゆっくりとしか変わってこないかも知れませんが、一人一人の
意識が本当は大切だと思うわけです。
私も多少なりともその意識の中でどうしたら一番良いのかを考え続けて行きたいと思います。
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